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茶の湯と工芸 陶芸家・大樋年雄さんのお話
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●今回受講させていただいたのは、「日本の伝統文化理解」というステージの2講座目、「茶の湯と工芸」。講師は大樋流、茶道具の陶芸家、大樋年雄さんです。
語り口も軽妙で面白く、茶の湯の歴史を若い子にもわかりやすく教えてくださいました。
受講後、みんなの感想を聞いたところ、異口同音に、「面白い!」。
この日は、学習院女子の生徒さんがゼミの先生に促されたとかで来ていたのですが、単なる「宿題」にはならなかったようです。
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毎週土曜日、12回分の講座をまとめて
1ステージと呼びます。
1講座からの受講も可能です。開けてみるべし!!
「裏千家、表千家―――光と影の関係」
いやはや、オドロきました。そういえば天気予報で、「裏日本」という言葉が使われなくなったと思ったら、差別だという理由だったんですね。う〜ん……。(なんかもぞもぞと言いたくなる。漫画の世界でもええ?!と思うことで訂正を求められるので、ええ。)
―――とはいえたしかに、「裏」という言葉には、なにかまがいもの、コソコソしたものという響きがありますよね。「裏ビデオ」とか「裏ロム」とか。
でも「裏千家」は「千家」の亜流だと思ってる人っている…?
(んじゃ創始者の千仙叟は…?)
「裏日本」は「裏千家」ができた歴史と深く関わりのある言葉です。
歴史上の人物、前田利家のことをご存知の方は多いと思います。が、この人が徳川、つまり「中央の権力」に対するものとして※加賀藩を「文化の町」に造りあげた、という史実を知っている人は案外いないんじゃあ…?
※現在の金沢
私が話すとそれこそまがいもの臭くなってしまうので、ここから「千家」との関係を知りたいと思う人は、大樋さんを追いかけるなり、自分で調べるなりしてください。茶道具の陶芸家やお茶の先生なら、必ずご存知のことと思いますが。知らない…って先生はインチキだと思うよ…うん…。
「光と影」、徳川家と前田家の創ったものを一対で見るのが正しく、このような歴史的事情が伝えられていないために、意味のない差別感を生むこともあるのかもしれません。(裏日本とは単に中央ではない、地方・日本海側の土地という意味です。)
「文化とは不可思議・大樋年雄さんのこと」
大樋さんが「さどう」のことを「ちゃどう」というのは茶目っ気だろうか…と思って聞いていた私は単なる無知でした。
このルポを書くために調べたら、裏千家はちゃどう、表千家はさどう、と言うことが、わかりました。あと、ふくさの色などが異なるそうです。
大樋さんは、「裏千家」を確立した千仙叟の代から茶道具を承っている※「大樋家」のご長男です。
海外への留学・放蕩(?でもドラ息子っぽい…留学するまで家を継ぐ気はなかったって言ってたし。)を経て、現在は地元、金沢にお住まいです。工房にはたくさん人がいて、どっかんどっかん作ってるとか…いえ、茶道具なのにどっかん、と表現したのは私の想像です。あまりにも現代風の、パワーのある流麗な作品をお作りになっているので。
※1代目は大樋長左衛門。現在の家元は10代目・大樋長左衛門(年雄さんのお父様)。
いいねっと金沢 http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/
大樋焼本家十代長左衛門窯・大樋美術 http://www.hokuriku.ne.jp/ohi/index.htm
・・・などで作品が見られます。
ロチェスター工科大学(米)で客員講師もされていて、なんでもそのスジから手に入れた、ロケットに使う特殊な素材でできた手袋を「窯焼き」に使ってる人だとか(耐熱性ばつくんでナイスアイデアだったらしい。この話は修學會さんが笑いながらしてくれた。)おまけに、陶板を壁に貼り付ける、なんてこともやってらっしゃる。
「空間プロデュース」もご自分でやっていらして、個展とか、壁の作品などは全部いま、コンピュータでプランニングしてるそうです。「陶芸家」というより「アーティスト」といった風情…。ロケットとか、宇宙に関することもお好きなようで、「さあ、宇宙旅行に行きましょう」って言って、スライド見せてくれるの。型破りというだけでは物足りない。
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同じノリで「茶室」にも
案内してくれる…。
(バーチャルね、これも。) |
※茶室の入り口があんなに狭いのは、まずどんな人でも頭を下げて、
招待してくれた人に礼をする姿勢をつくるためだそう。
二本差しの武士でも、刀とらなきゃ入れない。 |
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なんで宇宙が関係するのかというと、『不可思議という言葉があります。これは仏教用語で、突き詰めたらわかるもの、という意味です。"無量"というのは、地球を外から見る感覚です。』というお話があったからです(大樋さんの解釈です。学術的に意味が違う、という声がスタッフから上がりましたが、仏教用語は解釈の幅が大きいとのことなので、そのまんま載せます。)いや、不思議なのは大樋さんだよ…と思いつつ、このHPで最終的に打ち出したいと思っていた感覚がひょんなところで聞けたので、嬉しくなって、このおっちゃまのことなんでも聞こうって・・・ええ、惚れてはいませんが最後までワクワクしながら聞きました。さらにがつーんと来たのはこのあとに記す言葉です。文化とは不可思議、突き詰めたらわかるもの。そして文化とは・・・。
「イベントではない、祭りの感覚」
おおそうだ、あたしゃ結婚式や出産を、「一世一代のイベント」として扱う風潮がきらいだったのだ。ありゃあ、「祈り」だろう。人の勝手だが、なんか全体的に大切なもんがちゃらちゃらしていくのはいやだ。「カルチャー」という軽い語感に紛れて文学から美術まで。祭りは受け継がれていくもの、イベントはその場限りで終わり!! 『万博とか、今やってもウケないよね。』そうだそう!! まったくそうであります大樋先生!! 時代が求めてきたものと、人の営みから生じるものをきっちり分けて考えてほしい。ああしまった。興奮してしまった。こんなテーマ掲げて軍人調にしたらヤバイ。「右」の人とか言う「左」の人が来る。
※「伝統」の話をしてるのだ。
ポリシーでガタガタ言う場
ではございません。ケンカ
すんならよそでやって!!
「伝統」を軽んじないことの必要性、それはすでに大樋さんが体で示してらっしゃいます。これまでの記述を読んで、大樋さんを「古くさい」人だと思った…?
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「守・破・離」(しゅ・は・り)
守(POTTERY) |
創造的継承・伝統・歴史・ルーツ・
事例などの探求 |
破 (VESSEL) |
創造的破壊・守る概念の発展型。
歴史から残す勇気と切り捨てる勇気 |
離(SCULPTURE) |
創造的移行・違う世界に移行・
抽象化・基(本)が内蔵されている |
↑これです、これ。これがわたくし的にがつーんときてしまった言葉です。
利休の言葉だそうです、ハイ。
POTTERY・VESSEL・SCULPTUREは大樋さんの意訳だと思います。(陶器・容器・彫刻という意味でした、調べたら。さすが芸術家だ、うまいぃ!!!!と思いました。)
「基本」を知らなきゃ「発展」できないってところでしょうか。
私などはまあ、一応絵を描いている者としてわかったのですが、『リンゴを抽象化して描いた人がいるとする。その人が上手い(基本のデッサンができる)人なのかどうかは、見る人が見れば判る。』
―――という説明でした。
ピカソがあれだけ崩すのに、「過程」があったことは、ほとんどの皆さんがご存知のことと思います。日本の「道」などは、まさに「基本」をみっちりやることですね。悪い面もありましょうが、私自身、「基本」をすっとばしてやりたがるタイプなので、この言葉を頭に叩き入れようと思った次第です。(あとから困るんだよ、「発展」できなくて。)
「時代」が変わるときもこの【破】が来るような気がします。
歴史教育の見直しが測られているのはその前兆でしょうか。
いずれにせよ、過去の失敗・成功の事例を知らなければ、「発展」には至らない、という感覚が呼び起こされてる原因があるのでしょう、「時代」に。
「たとえばマナー。知らない人がやると・・・・」
もう少しわかりやすい説明をしましょうか。
「マキコ風」などと呼ばれる「先駆者」がいる。「オシャレ」の「お手本」になる人です。
「マキコ」さんは「オシャレの基本」を知っている(まあ、素養も大いに関係することですが)。
知っているからあそこまで大胆に崩せるのだ、というのは「オシャレ」の感覚がある人なら誰でもわかる。では、「知らない」人がやるとどうなるか。ふつーは見られたもんじゃないですね。(稀に共鳴する人もいましょうが)「お手本」にするほど出来のいいものだとは思えません、ほとんどの人の人にとっては。
「マナー」には「歴史」があります。日本では「上座・下座」などの概念が残っていますが、西洋にも、「テーブルマナー」や「もてなしのマナー」など、うるさいほど残ってます。
「今」必要でしょうか。
私は「基本」を学んでいないのでわかりません。
したがって、「ああうぜえ」と言って「崩す」こともできません。
やると、「エチケット」に反するようなところまで行ってしまいそうで、できません。
「必要としていた時代」のことを理解していないからです、何故そう決まったかということを。
破 (VESSEL) |
創造的破壊・守る概念の発展型。
歴史から残す勇気と切り捨てる勇気 |
しつこく書き出してみました。
大樋さんのように豊かな「経験」を積んだ人に、まず触れることが大事なのだと思います。
学習院女子の生徒さんが、本当に理解して帰ったとは思えないのですが(ごめん。でも私だってそんなもんよ、自分の経験の範囲でしか)、この先、あ!と思うことがあるかもしれません。
これこそ「経験」だと思って来たそうです、娘さんたちは。
素敵なレディになるためか、いい奥さん、お母さんになるためか、理由は人それぞれでしょうが、「また来たい!」と思わせる講座であったのは確実です。
面白く学ぶのが一番だと思います。大樋さんのように、なんだか「不可思議」なおっちゃまに出会える講座、いかかでしょうか、皆さん。
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